Review
2019.07「They are in a fair, and I’m here.」 長友 紀子 個展
(2019.7.14-7.27 12:00-17:00) Pastページ>>>>![]() |
長友 紀子
■展示を終えて
今回の展示のお話をいただいたのが、展覧会期間の1年と少し前、大学院修士課程の1年次を終えて現場に復帰した頃でした。
大学院修士課程進学は数年前から考え始めていたことで、これから美術をやるのか美術教育をやるのか、何が自分の人生の中心になっていくのか、
作家としてどう生きていきたいのか、自分のできることとやりたいことを整理整頓するために時間とりたいと思っていました。
1年間、仕事から解放され学ぶことだけを考えることが許された時間がいかに貴重なものだったかは、なかなか説明しがたいのですが、
復帰してから毎日、作品のことを思い、描き学ぶ時間をもう一度自分のものにしたい、そのためにはどうしたらいいか、と考えていたときに、
ちょうど手島さんから「展示をしてみないか」とお声がけいただいたという感じでした。とにかく、描けている状況を維持しておきたい。
仕事をいいわけにするわけにはいきませんが、精神力を削がれる現場であることは事実なので、
なにかどうしようもないものがないと制作しつづけられないかも、、、という切羽詰まった気分もありました。
7月、作品を搬入し終えて展示会場を見たときは、とにかく展示できた、という安堵とともに、
これまでの自分の作品を自分自身で振り返ることができた満足感がありました。と同時に、まだ表現できていないことがある、
考えられていないことがある、という気持ちもわいてきました。展覧会を終えて2ヶ月が過ぎようとしています。
今、私は次に何をしたらいいだろうかと考えています。やりたいことはたくさんあります。
やれる時間にかぎりがあることを最近少し意識するようになっているので、できるだけ早く始めなければ、と焦っています。
でも、この焦りは心地いいものでもあります。Gallery Den mymの展覧会は、自分にとって何かひとつ分岐点になったなと思います。
このような機会を与えてくださった手島さんをはじめ、協力してくれたパートナーや様々な助言をくださった大学関係の皆さん、
それから見に来てくださった方々に心からお礼を言いたいです。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
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2019.07 「石に名前を付けて 然るのち なまえをおとにかえす」 今井 大介 個展
(2019.7.14-7.27 12:00-17:00) Pastページ>>>>![]() |
今井 大介
■展示を終えて
石を積んだ車が初夏の山道を走る。
雲間から射す薄い光が、濡れた路面や木々に輝く。すでに新緑も過ぎ、山には濃い緑が生い茂っている。
崖下からはどうどうと音が聞こえる。ここ数日の雨の影響か、水嵩が増しているのだろう。川はまだ見えない。
路上では、藪と化した路肩の草むらが車線を半分程ふさぎ、恐る恐るカーブを曲がる度に車体は草を薙いだ。
開け放した窓から青臭い香りが漂う。積んでいるのはかろうじて手で持てる重さの石だけだが、それでも9個も載せると重心が傾いているのがわかる。
バランスが悪かったのかもしれない。そういえば以前、質量を持ったものが存在するだけで時間と空間に歪みが生ずる、という話を聞いたことがある。
物理学の話らしいが、彫刻の話のようにも聞こえるところが面白い、とふと思う。川が見えた。
途中、ダム湖に架かる橋を渡った。水位が上がっているようで、木々の根元まで湖面となっている。
霧がかかり、奥は見えない。昔はこの湖底に集落があったのだと、以前村の老人から聞いた。いや、又聞きだったのか。
話によれば山の上に小学校を建てる際、生徒たちが毎日、砂袋や石を持って山の上まで運んだらしい。皆で少しずつ、時間をかけて。
カーブを曲がると、突然左側の視界がひらけた。下は雲のように見えるが霧だろう。その上を遥か山々が、雲と霧のあいだに見渡せる。
いつの間にかかなり上ったようだ。道の右脇には、注連縄を巻かれた巨石があった。苔むした石の存在に目を奪われ、スピードを落として通り過ぎる。
それにしてもこの辺りには、大きな石が多い。石が風景の一部であり、生活のすぐそばにあり、信仰の対象でもある。
そんな土地にあえて石を持って行き、あまつさえ美術作品として展示をするということに、一抹の不安を覚える。
先程の話にでた山の上の小学校を過ぎ、小さな集落の麓から急勾配の細い道を上り、下り、そして曲がり、また上る。
「青い家」に着く頃には、七月とはいえ、そろそろ日も暮れかけようかという時分だった。急ぎ、石だけでもと家に入れる。
薄暗い家の中は湿気でひんやりとしていた。古い家屋の、懐かしい匂いがする。ひとまず、あらかじめ考えていた場所に石を置いてみた。幽かな自然光だけで石を見る。
ものと向き合っていると、ものの存在そのものに圧倒される瞬間がある。
ものは静かに、ただ、今こつんとそこに在り、他のすべてのものやこと、過去からも切り離された存在だったと思い出す。
そこには時間は無く、ものの名前すら無い。意識はそれらに名前を付け、括り、意味を見出し、時間の因果関係の中で把握しようとし、
また、したような気にもなるが、そのようなことで、ものそのものには触れられない。今そこに在るそのものとは全く関係がない。
ものは、ただそこに在るだけで空間を歪ませる。その歪みを調整し、振幅させ、拡散と収縮を繰り返し、音叉が共鳴する振動数を特定するように、
極点を探りながら、固着し、空間を歪ませるためだけに、空間を歪ませる。より純粋に、他の目的や意図を持たず、いつか時間に達するまで。
そんな夢を見た。起きたら朝になっていた。酒を飲みながら石で遊んでいたせいだろう。
展示の最中はほとんどが雨だった。オープニングでは村田峰紀君がパフォーマンスをしてくれた。湿度が高く薄暗い土間の中、
汗まみれになりながら這いずり回るようにしてドローイングをする姿に、いつの間にか引き込まれていた。
お客さんが来ない時間に、縁側から雨にけむる茶畑を見るのが好きだった。どんな天気のときでも、不思議と鶯が鳴いている。
もはや管理されることのない茶畑は、山の上から斜面を降りてくる緑色の雲海のようだ。静かな雨音と時折聞こえる鶯が風景を包み、
その妙な現実感の希薄さに気持ちが安らいだ。
アトリエで石を見る。そして思い出す。
ずいぶんと長いこと「青い家」に泊まった。夏の縁側が似合う和室、玄関脇の長式台、淡い光が射す土間、裸電球の二階の和室。
今でも、昔あの家に住んでいた自分がいるような気がしてならない。それは夢だ。しかし荘子ではないが、
「青い家」で石を眺めている自分が夢なのか、それともここで石を眺めている自分が夢なのか。
どちらにしてもあまり大差は無いので、考えるのをやめた。
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<OPENING EVENT>
「drawing 14/07/2019」
日 時 : 7月14日(日) 14:00〜会 場 : AIR南山城村“青い家”
■オープニングイベント風景
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